2月22日、小雪が舞う中、早13年目となる3月11日を目前に、東日本大震災の被災地域である、福島県富岡町、大熊町、双葉町、浪江町の各町長さんを表敬訪問し、かつ「東京電力廃炉資料館」(富岡町内)や、環境省の「中間貯蔵施設」を視察することが出来ました。
JR東京駅
大変お忙しいところ、時間を頂戴し快くご面会、ご対応をいただきました、町長さん、役職員さん、各施設の職員みなさま、そして道案内に加えて、今の双葉郡内の様子を丁寧に教えてくれたドライバーさん、本当に皆様ありがとうございました。
JR富岡駅付近
これまでのご苦労と現状、そして課題をお伺いして、一歩一歩でも復旧が進んだ現場や、今後、課題もある中で、現場の町政には専ら不干渉であるべきだと考えていますが、決して無関心ではいられません。
「復興には与野党もないですから」、「元旦におきた能登半島地震の被害も心配です」などと語られた町長さんはじめ被災地の暮らしぶりに対しまして、改めてこの見聞を国策に活かさねばと感じておりますので、しっかりと反映させるよう努力してまいります。
訪問行脚のルートは、JR富岡駅をスタートして、仙台方面に続く国道6号線沿いと、同じく北に伸びる常磐線の並びを北上しながらJR浪江駅までの行程でした。
JR富岡駅→
①東電廃炉資料館→
②富岡町役場→
③中間貯蔵施設→
④大熊町役場→
⑤双葉町役場→
⑥福島県復興記念公園(建設中)→
⑦大平山コミュニティ広場(慰霊碑:浪江町内)→
⑧浪江町役場→
JR浪江駅
①東京電力廃炉資料館
各町長さんは、「これまで厳しかった」、しかし「なんとか、ここまできた。そうはいってもこの1、2年のことだ。」と異口同音に語られ、その言葉には重みを感じております。
人口も震災前と比べて、多い町では5,000人以上、少ない町でも1,500人は減少(今年2月の住民票登録)しています。現時点の居住者数は100~2,500人ということで、いかに帰還が困難なのか、あらためて痛感しました。
③中間貯蔵施設(環境省)
そこで国会議員の責務として再認識したのが、各地域で先行して除染をすすめていた2年前の令和4年6月以降から解除されてきたのが「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」でした。これまで駅や役所の周辺など比較的人が集まる区域を先行していました。
加えて、そのほかに、住民が戻れるように、昨年6月に『改正福島法』により「特定帰還居住区域」を創設しました。日常生活に必要な宅地、道路、集会所、墓地などまで含めた範囲への拡大でした。帰還意向のある住民が帰還できるよう被災地のニーズを反映した施策です。
整理すると、現在の被災地は「帰還困難区域」に対して、令和2年3月には「避難指示解除区域」を広く設定。その後、令和4年6月から「特定復興再生拠点区域」を設定し、昨年5年に「特定帰還居住区域」を創設、全部で4つの区域分けとなっています。
⑥福島県復興記念公園(建設中)
⑦大平山コミュニティ広場(慰霊碑:浪江町内)
②富岡町(山本育男町長)
富岡町
今回、訪問できた双葉郡4町の中では、最も帰宅困難区域の面積が少ない富岡町ですが、住民帰還に向け、申請した「特定帰還居住区域」については、一週間前の2月16日に認定されたばかりでした。
やはり当時、13年前は大変厳しかったのですが、現時点で帰還を望む92世帯の宅地を網羅しているとのことで、この4月以降に除染が始まり、インフラ整備などを経て避難指示が解除される見通しがたちました。
農業ではパッションフルーツ、レモン、バラなどにも取り組み、海沿いの帰還困難地域に接する道路沿いの小高い地域には、ぶどう畑も広がるのをご案内いただきました。地元ワインの生産に取り組む若い方々の存在や、ボランティアには100名以上の人が集う賑わいだそうです。
当日は雪景色でしたが、全長2.2kmに及ぶ400本以上の桜トンネル(桜まつり)は圧巻でしょう、ぜひともお伺いしたいものです。
④大熊町(吉田淳町長)
大熊町
令和元年、大川原地区に新庁舎が建設されました。日常の業務に加え、新年度職員の採用準備でお忙しく、一般職、技術職、保育職で十数名の採用予定を進めているとのこと。
発災当時の役場は100キロほど離れた会津若松市に仮庁舎を設置して業務を続けていました。
先に見学した広大な中間貯蔵施設が存在する大熊町だけに、2045年まであと21年間で、いま町内に一次保管されている「汚染除去土壌」の運び出しはどうなるのか大変心配であること、そして、なかなか進まない印象があるとのこと。
新宿や所沢で除去土壌の「再利用の実証計画」には、反対があがったことへの思いを受け止める一方で、法の下で行うこれらの取り組みを知ってもらうこの事自体に効果があったという前向きな認識であることを語って頂きました。
町の大きな新産業の一つには、トヨタなど6社でバイオエタノール燃料事業の研究製造の実用化の動き出しが間近なことや、AIを活用したミニトマトのスマート農業施設や、データセンターなどが立地することも伺えました。何より、もともとの駅前の整備も大事な復興の一つであることもです。
このような、新たな産業の進出により雇用の創出、町民の帰還、そして新たな活力を使って、呼び込みたいものは移住、定住の促進でありますから、この点の構想は、首長時代を思い出し苦労の面影が重なりました。
⑤双葉町役場(伊澤史朗町長)
双葉町
東京電力福島第一原子力発電所が立地するのが双葉町です。震災当時も全町民で県外避難をしたのは唯一、双葉町であり、やはり住民帰還が課題であるとのこと。戻り始めるのに11年以上かかりました。
現在、帰還希望があるものの、住宅建築計画をたてる住民や個人事業主に重くのしかかるのが建築坪単価の問題です。つまり、原材料の高騰、建築資材の高騰、肝心の建築費への高騰につながります。町独自で500万円の補助金を用意しても、建築費は以前と比べて約2、3倍以上もかかります。街づくりでも現実問題として商工会が戻らないとのことでした。住まい方、暮らし方には二拠点の方法もあり、一案だと思うのですが、新住民、新事業も呼び込みたいとしています。
獣医でもある伊澤町長におかれては家畜の殺処分などにも人一倍心を痛めてきました。
何よりも安心安全の面で、懸命に頑張られております。長崎大学と提携し、放射線量の検査や健康管理などに取り組み、住民の帰還、町の復興を支援しておられるのです。
大学には町役場内にサテライトオフィスを設置してもらい、震災直後から県内で復興支援に携わる原爆後障害医療研究所の高村教授らが、町民の外部・内部被ばく線量を測定・評価し、健康相談や講演活動を通じて、安全・安心をしっかり担保する努力をされております。
⑧浪江町役場(吉田栄光町長)
浪江町
現存庁舎のほとんどをリプレイスした町とのことですが、13年でよく来たと振り返ります。今回訪問した4つの町の中で一番面積も広いこの町ですが、逆に約8割が帰還困難区域なのです。
しかしながら、そのほとんどは山林であって、実は以前から人が立ち入るところではないそうです。
この2020年代までには、このところを解決したいという強い思いがあり、しっかりと方向性をつけ、出口を示したいとの使命感を強く強くお持ちでおられます。
町には東西に、工業団地が全部で4つあり、70を超える事業が集まっています。水素タウン構想では、水素のモデル地区の策定、また国の機構(F-LEI福島国際研究教育機構)を中心に国際研究産業都市構想も始動しており、実はこれが福島浜通り地域全体のエリアを産業都市化する核となるのでしょう。私も法案のレクチャーを国会で受けていましたから大いに期待しています。
今回共通して印象的だったのは、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町のすべての訪問先で、まずは同郷の住民のことを心配しています、昨今は排他的な世情にある中で、新しい仲間づくり、その受け入れにも門戸を開いて、実際にそれが芽吹き始めていることを直接感じました。懸命に前進する様子を体感致しました。
農林漁業、産業、様々な事業にも着手できるのは、住民の皆様、役場の職員さんお一人お一人のポテンシャルが高く、前向きに頑張ろうとする努力が結実しているからだと感慨にふけり、東京への帰路につきました。
あらためまして、このたび大変お世話になりました富岡町、大熊町、双葉町、浪江町の皆さん、各視察先施設の職員さん、地元の皆様、本当にありがとうございました。
近々、再び必ず訪問させていただきます!
今後とも国政において震災復興のみならず、国内外の諸課題に粉骨砕身、全力で取り組んでまいる所存です。
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